定例研究会等


講演会・勉強会
(2024.8.25)
講演 ACTFL OPIファシリテーター 三浦謙一氏
「ACTFL プロフィシェンシーガイドライン2024について」(PDF)
第114回
定例研究会
(2024.3.2)
ACTFL OPIテスター資格の更新に関する情報共有
ビデオメッセージ 
『 資格取得/更新に関するオンライン手続きのながれ』 
ディアナ ヒューズ氏(ACTFL 資格認定マネージャー)
第113回
定例研究会(2023.12.10)
講演 嶋田和子先生(アクラス日本語教育研究所 所長)
「会話試験JOPTの活用に向けて〜JOPTの紹介&評価体験〜」(PDF)
第112回
定例研究会(2023.7.2)
講演会 ACTFL-OPIファシリテーター 渡辺素和子先生
「ACTFL プロフィシェンシーガイドライン2012年版:グローバルタスクの再確認」(PDF
第111回
定例研究会(2023.3.4)
OPIの情報共有(レイティング・グリッドについて)
第110回
定例研究会(2022.12.4)
助成研究プロジェクト報告「コミュニケーションのための効果的な相槌や受け答え―日本語OPI における母語別特徴―」(PDF)
第109回 
定例研究会(2022.7.3)
プロジェクト報告等
話者の発話を引き出す効果的な質問の抽出と分類
―OPI手法を用いた会話コーパス調査から―(PDF
第108回 
定例研究会総会(2022.3.5)
ACTFLやOPIのテスター更新の情報共有
ACTFLとテスター更新等の情報共有220305 (PDF)
第107回 
定例研究会(2021.12.4)
プロジェクト報告等
第106回 
定例研究会(2021.7.3)
講演会「ICTツールを活用したオンライン外国語授業の可能性」(岩居弘樹氏)(https://osaka-u.padlet.org/iwaihiroki/20210703)
第105回 
定例研究会総会(2021.3.5)
ACTFLやOPIの情報共有等
第104回 
定例研究会(2020.12.5)
講演会:石川慎一郎氏(神戸大学)「学習者コーパスを用いた発話研究の展望:L2英語学習者とL2日本語学習者を事例として」(PDF)
第103回 
定例研究会(2020.6.6)
OPI国際シンポジウム発表報告
(本研究会会員) 伊勢みゆき氏「日本語が「上手」とは何か―学習者・教師・日本人の観る「上手」-」(PDF)、小嶋堅嗣氏「ACTFL-OPI超級レベルの詳細範囲について」(PDF)
第102回 
定例研究会総会(2020.2.29)
講演会:堀恵子氏「「ACTFL日本語OPIと教育への応用」
「OPIの質問内容による難易度の違い―「きっかけ」を聞く質問を焦点に―」」(PDF
第101回 
定例研究会(2019.12.7)
講演会:長坂水晶氏「JF日本語教育スタンダード準拠ロールプレイテストについて」 (PDF
公開講演会(2019.10.5)講演会:「移民時代の日本語口頭能力を考える ~日本語教育施策とスピーキング・テストのこれから~」
根岸雅史氏 「英語スピーキング・テストの今」(PDF)
増田麻美子氏「「日本語教育の標準(仮)」の策定に向けて」(PDF) 
第100回 
定例研究会(2019.7.20)
定例会100回記念 パネルセッション「OPIの未来を探る- 国内外のOPI活用事情から-」 (伊東祐郎氏、迫田亜希子氏、松浦真理子氏)
伊東祐郎氏 「新しい日本語会話テスト”JOPT”」(PDF)
迫田亜希子氏 「韓国における日本語OPIの動き」(PDF)
松浦真理子氏 「ベトナムの日本語教育事情-実習生と口頭教育を中心に- 」(PDF
第99回 
定例研究会総会(2019.3.2)
講演 深沢のぞみ氏(金沢大学人間社会学域国際学類 教授) 「21世紀に必要な学びとしてのパブリックスピーキング 」(PDF)
第98回 
定例研究会(2018.12.1)
パネルディスカッション「『できる日本語』の実践と評価」

1.嶋田和子トレーナー(アクラス日本語教育研究所) 『できる日本語』の概要説明 (PDF)
2.大﨑晃史氏(友国際文化学院) 友国際文化学院の事例 (PDF)
3.高見彩子氏(イーストウエスト日本語学校) イーストウエスト日本語学校の事例 (PDF)
4.落合知春氏(イーストウエスト日本語学校) 『漢字たまご』の実践と評価 (PDF)     
公開講演会(2018.10.27)講演 義永美央子氏 「第二言語学習者の発達の可能性を探る―ダイナミックアセスメントの理論と実践-」(PDF)
第97回 
定例研究会
(2018.7.21)
講演 奥村三菜子氏 「評価と授業実践をつなぐ-CEFRが示す「ことばの力」とは?-」(PDF)
第96回 
定例研究会総会
(2018.3.10)
OPI国際シンポジウム報告会・助成プロジェクト 報告斎藤眞理子氏・三國純子氏 「意見述べに見られる特徴的な表現」
萩原孝恵氏・池谷清美氏 「フィラーとの共起にみる舌打ちと笑いタイ人日本語学習者の発話を表象する非言語行動の特徴」
大隅紀子氏・堀恵子氏 「上・超級話者の発話を引き出すための談話展開と効果的な質問」
世良時子氏 「CLD生徒であった大学生の日本語能力評価に関する考察-OPIによる縦断データの分析から」
プロジェクト報告 「よりよいコミュニケーションのための相槌や受け答え―日本語OPIにおける話題転換部 からみえてくるもの―」
第95回 
定例研究会講演会
(2017.12.9)
迫田久美子氏(国立国語研究所/広島大学) 「日本語学習者の安全な誤用と危険な正用 ―学習者コーパスI-JASからわかる環境要因― 」 (PDF)
公開講演会
(2017.8.2)
牧野成一トレーナー(プリンストン大学名誉教授)
「OPIの過去現在未来-日本語OPI研究会の歩みとともに-」
(会員用ニューズレター第70号

牧野成一トレーナー 「1987年の夏、私が日本語学校の校長をしていたアメリカのバーモント州のミドルベリー大学の夏季外国語講座にACTFLからOPIの代表者のデイビッド・ハイプル(David Hiple)氏が来て英語のOPIのデモンストレーションを行ってくれた。これがきっかけで,1990年に東京でのOPIワークショップに発展し,今やワークショップは100回目を超えている。<OPIの現在>では,文化との関わり,日本語教育への応用について述べた。あと20年後までにはきっとAIロボットがOPI Testerとして出現するのではないかということにも触れた。」
第94回 
定例研究会講演会
(2017.7.15)
八木智裕氏(一般社団法人 Global8会長)「OPIのCBT、OPIc-Jサービスについて」(PDF)  
「日本語の「話せる能力」を可視化するOPIc-J」(PDF)
2016年度 第3回ワークショップ
(2017.1.8)
田中真理氏(名古屋外国語大学)、阿部新氏(東京外国語大学)
パフォーマンス評価再考: Good Writing評価を通して

パフォーマンス評価としてのライティング評価及び評価基準の種類について概観し、「目的・内容」「構成・結束性」「読み手」「正確さ」「適切さ」の5要素(トレイト)からなるマルチプル・トレイト評価表を用いて、実際に小論文の順位付け及びグループでの評価統一作業を行い、ライティング評価について検討した。また、ACTFL Writing Proficiency Test (WPT)について、OPIやそのほかのライティング試験と比較検討を行った。 (会員用ニューズレター第69号 12-17ページ)
第91回 
定例研究会 2016年度 第2回ワークショップ
(2016.7.2)
嶋田和子トレーナー (一般社団法人アクラス日本語教育研究所)「日本語話者の発話に関する評価を考えるワークショップ 」 

日本語話者の発話に関する評価を考えるため、個人で日本語話者の発話のスクリプトを読み、10段階で判定・フィードバックを記入しその結果をグル―プで話し合ったのち、各グループからコメントを発表し、さらに議論を持った。
会員用ニューズレター第68号 3-4ページ)
2016年度 第1回ワークショップ
(2016.5.28)
三浦謙一トレーナー (ACTFL日本語トレーナー、Director of the Japanese Program, Franklin & Marshall College)
ACTFL プロフィシェンシェンシーアセスメントの現在と将来の展望

2012年版ガイドラインに明記された卓越級について理解を深めるために、超級と卓越級の発話を聞き比べ、超級のベースラインについて討議がなされた。さらに、Written Proficiency Test(WPT)について、実際のライティングサンプルを見て、各レベルのフロア、シーリングをどのように判定するかが紹介された。また、OPIcの形式の確認後、サンプルの試聴を行い、問題点、将来の展望について話し合った。 (会員用ニューズレター第68号 11-17ページ)
第89回
定例研究会
(2015.12.12)
齊藤眞理子トレーナー 「ACTFLオーラル・プロフィシェンシー・インタビュー試験官養成マニュアル(2012年度版)に見られる変更点について

2012年版を1999年版マニュアルと比較し、以下の点の変更が認められた。ワークショップでのレベル判定の導入時期の変更、用語の変更(正確さ→正確さ・理解の難易度など)、上級下の特徴として、発話が不均一である傾向があることの明記、サブレベルの図解等の削除など。変更の多くは、ワークショップの進め方に合うようにされたもので、評価基準・評価方法に影響があるものではなく、敬語・インフォーマルの扱いについてはいずれ変更になる可能性もあるが、現在のところ従来通りである。 (会員用ニューズレター第67号 13-15ページ)
第85回
定例研究会
(2014.7.26)
齊藤 眞理子トレーナー「判定会を振り返って
 2010年から2014年までの約50本のインタビューをもとに、インタビューをするうえで気をつけるべき点について具体的に説明があった。
まず、上級中から超級では、超級を意識しすぎて超級への突き上げを急ぐあまり上級のレベルチェックがおろそかにならないように気をつけること。質問の焦点を絞って被験者が答えやすくするように。意見の抽出、漠然と「どう思いますか」と聞くだけでなく、さらに突っ込んでフォローアップするか、はじめから「体罰の是非」などのように、賛成か反対か立場がはっきりするようなものを聞くと良い。
次に、中級中から上級下では、突き上げられそうな話題があるとすぐ飛びついてしまいがちだが、ウォームアップを十分に行うこと。一つの話題で連続して質問の型を使いわけつつ、中級のタスクをしっかりと与えること。また、その後の質問に発展しそうにない質問、被験者の回答の繰り返し、自分が知っている知識の共有など、テスターの不要な発話はなくすべきである。
最後に、初級中から中級下では、突き上げの際に中級ではなく説明を求めるなどの上級への突き上げになってしまわないように気をつけること。(会員用ニューズレター第64号 3-7ページ)
第81回
定例研究会
(2013.3.16)
嶋田和子トレーナー (社団法人アクラス日本語教育研究所 )
講演:「OPI を教科書開発に生かす~『できる日本語』を例として

OPIの視点を取り入れて開発された教科書「できる日本語」の紹介とその効果について講演された。同教科書では、学習目標を遂行可能なタスクとして明確に設定しており、文型よりもまずタスク先行で場面が導入され、各場面で必要になる文型の学習者による発見、気づきが促されるようになっている。さらに、テキストの型を意識し、段落、複段落を目指すために、初級から単文だけでなく、かたまりで話すことが重要視されている。また、同教科書の導入により、教師と学習者の関係に以下の変化が見られた。まず、学習者が伝えたい・話したいことをさらに意識するようになり、同じクラス及び上下のレベルのクラスの教師間の連携が促進され、アーティキュレーションが強化された。 (会員用ニューズレター第61号 15-18ページ)
第79回
定例研究会
(2012.7.21.)
鎌田修トレーナー「牧野成一先生退官記念フォーラムにおけるOPIに関連 した研究発表の報告」

2012年5月にプリンストン大学で開催されたPrinceton Japanese Pedagogy Forum(PJPF)でのOPI関連の研究発表について報告された。(会員用ニューズレター第60号 3-10ページ)
第76回
定例研究会
(2011.6.25)
堀恵子氏「日本語能力試験の大規模試験としてのあり方」PDF)
研究発表会・講演会
(2009.8.1)
奥野由紀子氏(横浜国立大学留学生センター) 「ある韓国人留学生の縦断的な発話の変化」PDF)
橋本直幸氏(首都大学東京) 「OPIから見た「話題」と「語彙」の関係」PDF) 

牧野成一トレーナー(プリンストン大学) 「第2文化習得理論をめぐる問題」
 文化基準が存在するのか、また文化能力は測れるのかについて、プリンストン大学石川プログラムでのホームステイやインターンでの例を交えて講演があり、その後、質疑応答が行われた。(ニューズレター第53号 2-10ページ)
第70回
定例研究会
(2009.6.6)
鎌田修トレーナー 「OPI の意義と異議 -プロフィシェンシー研究にむけて-」

 関西OPI研究会が発展的に拡大し、これまでのOPI研究を基に、さらに、リスニング、ライティング、リーディング、文化など第二言語としての日本語のプロフィシェンシーの研究、及び、開発を目指す「日本語プロフィシェンシー研究会」の設立趣意が説明された。 (ニューズレター52号 8-10ページ)
研究発表会・講演会
(2008.8.11)
牧野成一トレーナー 「OPIの将来」 

OPIとCEFR(The Common European Framework of Reference)の関連を始め、レベル判定のマーカー探しの必要性、OPIの更なる普及とOPIcの台頭などについての講演後、質疑応答が行われた。(ニューズレター第48号 18-24ページ)

荻原稚佳子氏 「ACTFL-OPI 超級話者の特徴―上級話者との比較から―」 

発話内容領域の概念を基に分析した結果、意見述べのような複雑な言語形式や構造を使って意見を述べたり、現象、概念などを説明したりすることが期待される質問において、超級の特徴が顕著に現れ、話のまとまり方や抽象性の概念レベルにおいて、上級話者と比較して明らかな相違がみられた。 (ニューズレター第48号 15-18ページ)

西川寛之氏 「OPIのこと知っていますか?―他の試験との受験情報の比較 値段・申込方法について―」 ニューズレター第48号 12-15ページ)
第65回
定例研究会
(2007.11.10)
嶋田和子トレーナー 「OPI で教師力アップ-教育現場でのOPI 活用法-」
 
OPIの可能性と課題、OPIを活かした会話試験の開発を始め、日本語教師力を上げるためのOPI活用方法について講演された。また、同一学習者の発話でも、教師の質問力の差によって、発話サンプルがうまく引き出されたかどうかに影響し、一つは中級中、もう一つは上級中という判定が出たOPIの例を実際に聞きながら教師の質問力の重要性について述べられた。(ニューズレター第46号 3-6ページ)
第62回
定例研究会
(2006.12.24)
牧野成一トレーナー 「Common European Framework of Reference for Languages とACTFLの話す能力基準に違いがあるのか。」ニューズレター第42号 3-6ページ)
第58回
定例研究会
(2005.12.25)
牧野成一トレーナー 「ACTFL OPIトレーナーミーティングの報告」(ニューズレター第38号 2-10ぺージ)
第56回
定例研究会
(2005.6.18)
鎌田修トレーナー 「OPIと文化能力」(ニューズレター第36号 2-7ページ)
第54回
定例研究会
(2004.12.26)
牧野成一トレーナー「言語と文化のダブル・アセスメントのロールプレイは可能か」(ニューズレター第34号 2-8ページ)
第50回
定例研究会
(2003.12.25)
牧野成一トレーナー 「・・・超級話者判定に関わる諸問題・・・」(ニューズレター第28号 4-6ページ)
会話教育のための講演会
-談話分析と会話教育-

(2003.9.13)
宇佐美まゆみ氏(東京外国語大学) 「談話分析と日本語教育」
渡辺素和子トレーナー(ポートランド州立大学) 「談話分析とOPI-その接点」
全体討議: 「談話分析の可能性と会話教育への生かし方を探る」

講演会概要
「談話分析によりどのようなことができるのか」という基礎的な知識を得、具体的な談話分析を知り、「OPIを使った談話分析の可能性とは?」「談話分析の成果は会話教育やOPIにどう生かせるのか」を考える。

日時:2003年9月13日(土) 午後1時~5時30分(受付開始:12時30分)  講演会後、懇親会あり(~6時30分)
場所:(株)アルク本社 イベントホール (杉並区永福永福2-54-12/永福町駅徒歩3分)

(1)講演: 「談話分析と日本語教育」宇佐美まゆみ先生(東京外国語大学)
 本講演では、談話分析・会話分析研究における異なるアプローチの特徴と問題点を、主に方法論の観点から比較・考察した上で、今後、談話分析から得られた知見を、OPIや会話教育にどのように生かしていけるのかについて、具体例をあげながら論じる。

(2)講演: 「談話分析とOPI-その接点」 渡辺素和子先生(ポートランド州立大学/OPIトレーナー)
 談話分析の方法論と理論のOPIへの適用性、また逆にOPIから談話分析への適用性について考察する。談話分析に関する先行研究、特にOPIに関連したものに触れながら、OPIの位置付け、問題点などを提示する。特に、口頭運用能力試験としての OPIの正当性、ナラティブにおける結束性と一貫性などに焦点をあてる。 また、聴衆を交えて具体例を実際に分析することも試みたい。

(3)全体討議: 「談話分析の可能性と会話教育への生かし方を探る」

報告1 「開催にあたって」 レポーター 行田 悦子
9月13日本研究会主催の第1回会話教育のための講演会が行われました。
 今回は、「談話分析と会話教育」というテーマで、OPI会員だけではなく、一般の日本語教育に携わっている方々と一緒に談話分析の会話教育への生かし方について考えてみました。講演会は、2部構成で、前半は東京外国語大学の宇佐美まゆみ先生、ポートランド州立大学の渡辺素和子先生の講演を聞き、後半は、グループに分かれて話し合い、各グループから出た質問を講師の先生と齊藤トレーナーが回答していくという全体討議形式で行いました。詳しい内容については、関連記事をご覧下さい。
 講演会では、談話分析に関する講演はもちろんのこと、研究会以外の方と会話教育について意見交換できたのも有意義なことでした。初めての開催ということで、参加者が集まるか不安でしたが、結局会員38名、一般79名と思ったより一般参加者が多く、会話教育、そしてOPIへの関心の高さがうかがえます。ただ、時間の制限もあり、談話分析を会話教育に具体的にどう生かして行ったらよいのか、また、会話教育をどのように行っていけばよいのかという実践的な方法については十分に討論し切れませんでした。
 OPIは会話の運用能力を測る試験ですが、その基準を現場の授業にもっと活用できればと考えているテスターの方も多いと思います。しかし、研究会でも、実践教育への応用に関する体系的な研究活動はあまり進んでいません。この講演会では、そのヒントがいくつかあったように思います。これがきっかけとなって、今後会話教育での活用について新しい研究活動が始まり、次回の講演会へとつながればと思います。
 最後に、講演会実施までいろいろ準備して下さった実行委員の皆さん、そして当日いろいろな係としてお手伝い下さった皆さん、ありがとうございました。本当にお疲れさまでした。

 
報告2 宇佐美まゆみ先生 「談話分析と日本語教育」 レポーター 加藤 陽子
 近年の教育現場においては、情報伝達のための言語コミュニケーションの教育のみを目的とした指導ではなく、円滑なコミュニケーションを遂行するための指導もしていくべきだという声がある。日本語で、円滑なコミュニケーションのために必要な言葉遣いというと、まず、「敬語の使い方」を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、留学生が現実に直面する問題は、目上の人にどんな言葉遣いをするかという問題から、友達と話すのにいわゆる「タメ口」が上手に使えないという問題まで多岐に渡る。敬語には、「いらっしゃる」「参る」など、特別な語彙を覚えなければならない難しさがあるが、それ以上に難しい のは、いつ誰にどんな時にどの形式を使うかを判断しなければならないということのほうである。その難しさの原因は、敬語使用の原則というものが、「ウチ・ソト」、「上・下」という従来からの規範的な人間関係の認知の仕方を反映するものであるという点である。つまり、「人間関係の認知の仕方」が多様化している現代においては、何をもって「上・下」と捉えるかなどは、母語話者にとっても判断に困るからである。そういう意味で、規範的な敬語の言語形式を正しく使えることだけが円滑なコミュニケーションに結びつくわけではないという点にも注意しなければならない。例えば傘を貸す場面における「私はあなたに傘を一本貸して差し上げます」のような発話は、確かに敬語は使っているものの、自然な発話とは言えないだろう。また、原稿のチェックを教師に依頼する場面で次のような会話があったとしよう。
 学生:「○○に提出する原稿を書いてきたんですけど、コメントを頂けないでしょうか。」
教師:「いいですよ。それでいつが締め切りですか。」
学生:「明日です。」
 学生の発話は、言葉遣いとしては問題ないが、ディスコース・ポライトネスの観点からは問題である。これについては、急な依頼をするという行為自体が問題で、言葉遣いの問題ではないと考える人もいるかもしれない。しかし、どうしても急な依頼をする必要がある場合は、談話レベルでの述べ方の順番を変えることによって、当該の行為を和らげるような言葉遣いをすることが可能である。つまり、例えば「急なお願いで大変恐縮なんですが」のような前置きをつけて切り出す等の方法を使って、より円滑なコミュニケーションを目指すこともできるのである。
 以上のように、円滑なコミュニケーションのためには、言語形式の正確さだけでなく、談話レベルにおける言語行動の操作などが必要になる。円滑かつ自然なコミュニケーションが言語教育で求められているが、談話分析・談話研究は、上述の例も含めた様々な問題について気付かせてくれるよいきっかけになるものである。
 会話の分析にあたって、講演者は、「言語社会心理学的アプローチ」をとっている。これは、エスノメソドロジスト達の流れを汲むアプローチである「会話分析」(Conversation Analysis: CA)とは、主たる研究目的が異なるものであり、また、社会言語学者達のアプローチである「会話の分析」(Conversational Analysis)とも目的を異にするが、その方法論上の問題点を解消し、定量的処理を可能にするという方法論を用いるというアプローチである。エスノメソドロジストたちによる会話の分析の古典的な諸研究は、それ以前は、研究対象にならないと思われていた話し言葉を対象とし、会話にある規則性を見出したという点で評価できるものであった。しかし、その後発展した、主に社会言語学者たちによるアプローチには、データの出所が明確でない場合が多い、社会的コンテクストの統制が不十分であるため追試研究が困難である、などの方法論上の問題点があった。言語社会心理学的アプローチでは、これらの問題点を克服し、他の研究者が追試できるような方法を用いて会話の分析を行うことを、重要なことと考える。その方法論のエッセンスは、①条件を統制して(すなわち、条件を一定にした)データを収集する、 ②グローバルな観点(年齢・男女・発話者同士の関係などの参加者の属性等)と、ローカルな観点(それぞれの話者の会話内での相互作用)の双方から分析する、③同様の条件での追試検討を可能にするデータ収集・分析方法を取る、④数値化して、資料として統計処理も可能にするような形でフォローアップ・アンケートを行う。また、より細やかなインフォーマントの内省を聞くためには、フォローアップ・インタビューを実施する、などである。
 このような方法論に立ってなされた日本語の会話分析研究は、以下の二つの観点から、関連領域に大きな貢献ができると考える。一つは、主に印・欧言語に基づいて構築された理論・法則の普遍性や文化相対性を、日本語のデータに基づいて検証できるという点である。例えば、日本語の会話分析研究から、ポライトネス理論などの「普遍理論」として提唱されたものに、新しい視点を与えることができる。また、例えば、「ターンテイキング(turn-taking)」という用語は、既に広く使われているが、「発話順番」は、日本語の場合「取る」ものではなく、「待つ」ものであるという比喩のほうが近いのではないか、という捉え方もできる。このように、日本語の会話分析を通して、日本文化を考え、またそれらの結果に基づいて、従来の研究や理論に対して、欧米とは異なった視点から問題提起を行い、世界の研究に刺激を与えることができるのである。
 もう一つの点は、会話研究は、第二言語教育研究と双方向的に発展できる可能性を持っているということである。従来は、行動心理学がオーディオリンガルアプローチ等の言語教授法に影響を与えたように、理論から応用へという流れが主流であった。しかし、逆に言語教育などの応用分野が基礎研究に見直しを迫るという方向もある。基礎研究としての会話分析と第二言語教育は、相互に刺激を与えつつ発展する可能性があるのである。例えば、OPIのデータを使った会話研究は基礎研究であるが、OPIデータのやりとりを見ていく中から、会話に関わる理論に示唆する点を見出す可能性は多々ある。また、OPIのような、母語話者と非母語話者のやりとりのデータの中から、母語話者だけでは思いもつかない視点が見出せる場合もある。こうしたデータは、会話能力を測定するという実践的な観点からも、そのデータから何かを見つけていくという基礎研究の観点からも、有効なものであると思われる。このような、理論と応用との双方向的な交流は、今後の発展がますます望まれるものである。
 会話研究によって、会話の相互作用にはある規則性があるということを見出し、意識化、自覚化し、言語教育の現場に取り入れていくことは、学習者に益することとなる。また、談話レベルで観察を行うことによって、人間の言語コミュニケーションにおいても、言語形式だけが何かの機能を果たすのではないということが見えてくる。会話研究のこのような点が、日本語教育への貢献につながるのである。

報告3 渡辺素和子先生「談話分析とOPI-その接点」 レポーター 宮瀬 真理
 宇佐美まゆみ先生の講演に引き続き、渡辺素和子先生の講演が「談話分析とOPI-その接点」との題で行なわれた。
 まずはじめに、談話分析とは、1.あるコンテクストの中で起こった会話や物語を 2.記録しやすい対象に変化させ(文字化し) 3.それを分析するもの であり、OPIとは 1.インタビューというコンテクストの中で起こった発話を 2.テープに記録し 3.それを評価するもの であるということから、まさにOPIは談話分析の対象となる資料を提供するものであると述べられた。
 そして、OPIを分析資料とした研究が紹介された。
 会話である程度の量を話していても、文がプチプチと細切れになってまとまりがなくなっている発話や、文法的には大きな間違いがなくても意味がわかりにくい発話があることから、この研究は結束性と首尾一貫性(コヒアランス)=「…話し手と聞き手、書き手と読み手の間で前提となる知識や話し手の意図、聞き手の類推を考慮に入れて理解していくのに必要な解釈上の一貫性を指す」(メイナード泉子 1997)をキーワードとして捉えている。
 中級上から超級の五つのレベル、各レベル3本の計15本のインタビュー中、レベルチェック・突き上げ部分における返答の部分を調査対象とし、文法でいうところの述部の終わりに来ることのできる言語要素であるプレディケイト(verbal, adjectival, nominal + copula の三種類がある)、終助詞、接続詞を調査単位として分析した。プレディケイトは
 [使えない]って言ってました  
 [明日行く]って話 
の[ ]内のようなEmbedded(中に組み込まれている)プレディケイトと 下線部のような Non-embedded(組み込まれていない)プレディケイトの二つに分けられる。
 主な分析結果として、
・レベルが上がるに従って、Embedded プレディケイトの中の、上に例にあげたような て/と で受ける形のものが増えている(Embeddedプレディケイトのその他の種類としては ~と思う、修飾節、疑問文節がある)
・Non-embeddedプレディケイトについては、終止形のみを用いた割合がレベルが上がるに従って減り、終止形で言い切らないで終助詞や けど/が を用いて発話を終る割合が増えている
・接続詞の数はレベルとはあまり関係がない
ことなどがあげられた。また、結束性の要素はあるものの、誤用されたため首尾一貫性に欠けるといった実例も検証した。(研究の話しことばと書きことばの部分の紹介は時間の都合で省略された)
 最後にまとめとして
(1)接続詞だけではOPIの中のテキスト判定に役立たない
(2)結束性だけでは不十分。全体のコヒアランスがなければならない。
(3)結束性とコヒアランスは成否判定ではなく程度判定をするべき。
(4)コヒアランスは聞き手の解釈能力と姿勢によって達成できてしまうので、テスターは主要レベル毎に標準を対象レベルに合わせる必要がある
と研究から示唆されることが述べられ、結束性とコヒアランスの研究がOPIに重要な意義を持つことが示された。
 また、この研究が会話教育へ示唆することとして
(1)聴解の教材に 体験談などの長い談話を取り入れ、母語話者がどのように談話をつなげているのか、談話の構成を示すような指導をする
(2)「て形」と「んです」の組み合わせの会話練習を取り入れる
(3)「~というX」の様々な使用方法を示し、練習する
(4)作文に基づいた発話の練習という方法を見直す
(5)書きことばが化石化していないか点検
(6)日本語では対人的に話すという行為はただ情報や思考を言語化するだけの行為にはとどまらず、言語化したものを相手に「提出・提示」するという行為をさらに言語化する必要がある
ことがあげられた。
 渡辺先生の講演では、談話研究がOPIと日本語教育にどう生かされるかが具体的にわかりやすく述べられていて、OPIテスターにとっても非テスターにとっても大変有意義なものであった。

報告4 全体会議に関する報告 レポーター 深谷 久美子
 プログラム最後では、「談話分析の可能性と会話教育への生かし方を探る」と題して、参加者によるグループ討議を受けて引き続き、全体討議が行われた。ここからは講演者お二人の先生方に、トレイナーの齊藤眞理子先生にもコメンテイターとして加わっていただき、熱心な論議が繰り広げられた。
 参加者には予め全体討議用の「質問・意見・提案メモ」用紙が配布されていて、そこにグループ討議で出た質問等を記入、順次三人のコメンテイターに届けられた。現場教師ならではの質問や、教室での疑問などが届き、三人の先生方の適切なるアドバイスが続いた。
 基本的な質問として、「会話教育の必要性があるのか」がまず上がった。日本に滞在していれば、教室外で否応無しに会話する機会があり、無理に教室活動として必要かどうかである。回答は「もちろん必要」、だがその際に「言語教育では押し付けることになりがちだが、教えるという捉え方ではなく、情報としていくつかのパターンをレベルに合わせて提示する」「特に外国で日本語教育する場合、クラスの中で効果的に会話教育をすることはできる」であった。
 次に教室活動についての具体的質問とアドバイスが続いた。会話教育への具体的な質問として「~んです」の教え方や「ためぐち」について、さらにためぐちの反対に位置する文化をからめた敬語の効果的な教え方などの質問があがった。
 「聴解というインプットを与え、それをインテイクに変えるというのが教師の役割」
 「書かれた会話の練習だけではそれだけにとどまってしまう恐れがある」
 「会話のやり取りだけでなく、体験談を物語的に語る、それをテープに取り学習者が自分で教師とともにフイードバックする」
 「教える、押し付ける、教え込むのではなく、学習者自身が考えたり、選んだり、学びたいということを効果的に学べるようにしむける」
 「全体的なカリキュラムの中で必要かどうかを考える」
 など会話能力を上げるために個別の教え方だけでなく、会話教育そのものに対する教師の姿勢や方法について汎用性のあるアドバイスが続いた。さらに、文化をからめた敬語を教えるということに関しては、OPIの超級との関連でアドバイスがあった。
 「会話において敬語自体が現れればいいのか。声の調子や談話の進め方など、敬語そのものが出ていなくても丁寧であればいいのか。しかし、やはりフォーマルな場面では敬語が出てくる必要がある」
 「日本人が例えばアル中の人にお酒を控えるようアドバイスするという状況例を、日本語の母語話者がどう対応するかを例えば1000例ぐらい調査し、モデルをつくり、それに沿っていないものをフェイルにするなど考えなければ、難しいところである」
 「文化の違いに関して“ターンテイキングは取るものか待つものか”という相反する見方があるが、ここに文化的違いがでる。日本語のターンも常に待っているだけではない。背後にある会話者たちの序列、順番の共通認識などと関係してくる」
 さらに、先生方も興がのり日本語教育全体の問題にも話題が広がり、日本語教師の役割という根本的な問題に言及されていった。
「気がつかないけれども、人を傷つけたり、また自分も傷ついたりすることが談話のスタイルに帰着するということがある、だから日本語特有の談話のスタイルが言語化されているので、それを、教師の役割として提示する、教えてもらいたい人には教えるということは自然な行為ではないか」
「教師が失礼になるかどうか知っていることについては、学習者に情報として提供するのはいいのではないか。ある場面でどのような言葉を使うか、母語話者に不審が残るような表現について注意を促す必要があるのではないか」
など、講演内容を補足、発展させる活発な討議があった。

参考文献一覧
メイナード・泉子・K(1997)『談話分析の可能性:理論・方法・日本語の表現性』くろしお出版
荻原稚佳子、齊藤眞理子、増田真佐子、米田由喜代、伊藤とく美(2001)「上級・超級日本語学習者における発話分析:発話内容領域との関わりから」『世界の日本語教育』第11号 pp.83-102 国際交流基金日本語国際センター
木田真理、小玉安恵(2001)「上級日本語学習者の口頭ナラティブ能力の分析:雑談の場での経験談の談話指導に向けて」『日本語国際センター紀要』第11号 pp.31-49 国際交流基金日本語国際センター
柴原智代(2002)「『ね』の習得:2000/2001長期研修OPIデータの分析」『日本語国際センター紀要』第12号 pp. 19-34 国際交流基金日本語国際センター
Johnson, Marysia. 2001. The Art of Non-Conversation: A Re-Examination of the Validity of the Oral Proficiency Interview. Yale University Press.
Jorden, Eleanor Harz & Mari Noda. (1987) Japanese: the spoken language. Yale University Press 
Martin, Samuel E. (1987) A reference grammar of Japanese. C. E. Tuttle.
Minami, Masahiko. (2002) Culture-Specific Language Styles: The Development of Oral Narrative and Literacy. Child Language and Child Development ; 1. Clevedon.
第44回
定例研究会
(2002.12.23)
牧野成一トレーナー 「「まあ」はどうして上級話者のマーカーの一つでありえるのか」「まあ」 自体の先行研究はOkada (1995) (“A Discourse function of MAA ‘well’ in Japanese spontaneous conversation” )ぐらいで、ほとんどないし、教科書で 「まあ」を説明しているものもないようだが、基本的にはなんらかのCompromise (妥協)を表すマーカーと考えられてきた。OPIの判定に客観性を持たせるためには、複数のマーカーが必要であるので、その一つとして「まあ」をとりあげた。
  上村隆一氏他による「インタビュー形式による日本語会話データベース」 のデータによると、「まあ」は集中して上級と超級に出てきている。それはなぜか?
  「まあ」は独り言に出ないわけではないが、「聞き手中心性」が強い。つまり、意見を聞かれて、うまく答えるような場合に出てきやすい。書き言葉では出てこないし、読む会話と言われている「座談会」ではもとにはあったはずなのだが、文面では編集削除されている。
「まあ」のはたらきは「命題に色をつける」ということである。では、それはどういう色なのか?
母語話者によるOPIコーパス中に現れる「まあ」の用法を分類分析してみた。 (詳しい例はプリントを参照のこと。)
・ 自信がないとき:「まあ、よくわかりません」
・ はっきりしない、どっちつかずのとき:「まあ、どちらかと言えば、~です」
・ 推測:「まあ、~でしょう{ね/けれども}」
・ 一時的にとりあえず結論を出すとき:「そのま、~といいますか、~といいますか、・・」
・ はっきり言うことを避けるとき:「ま、そうですね、はい」
・ 条件つき:「まあ、adjことはadjですが」
・ ポライトネス:陳述を和らげるとき:「まあ、行かせていただきたいんですけれども・・」
 *敬語が共起
・ 例を全部ではなくあげるとき:「まあ、たとえば、~」
・ 数量を漠然と言うとき:「まあ少し、希望があると思いますけれども」
・ 言いにくい事を言うとき:「まあその彼(夫)のことですからまあ、あのー、まあ、・・」
・ 100%は賛成していないとき:「まあ、そうですね」
 その他、インタビューワーの「まあ」の使い方として、親になったような調子で:「まあ、~てください」などがある。
 このように「まあ」は基本的には、はっきりものを言わないときに、自分の発話を客観的に見て相手に気を配りつつ使うので、共起関係を調べるとおもしろい。
 また、音象徴との関係にも注目される。今まで、鼻音と口蓋音の対立として、「のvsこと」「のでvsから」、「のにvsけれど」、「の vs. から」などの例についてを論じたことがある。(詳しくは『ウチとソトの言語文化学』14章 アルク、1996を参照。)「の」は久野(1973)では統語分析から直接的、「こと」は間接的とも言われているが、たとえば「泳ぐのが好き」「泳ぐことが好き」を比べてみると、鼻音の方が軟らかく、「泳ぐのが大好き」とは言えるが、「泳ぐことが大好き」はなじまないことからも、身近なものや感情的な表現には鼻音が使われる。「まあ」が鼻音であることも偶然ではなく、命題に色をつけながら「相手を引き込む」機能を持っていることが推測される。
 上級を示す他のマーカーとして「受身」、「複合動詞」などが考えられるが、「まあ」も初・中級では使いにくいことが言えるだろう。「まあ」は上級だから出るのではなく、出たら上級と考えてほしい。
先生の、「他のマーカーは?」と言う質問から、質疑に入って行った形となった。
Q:「こ・そ・あ・ど」特に、文脈指示の一人語りの「あ」の使用は上級マーカーになるのではないか。
A:それは考えられる。これらを確かめるために更なるコーパスのデータバンクの必要性を感じる。
Q:フィラーとの境界は?副詞的な役割との境界は?
A:言語学では、今はその境界はわからない、連続的に捕らえるべきではないか。むしろ、OPIのレベルを志向するマーカーというように理解したらどうだろうか。
Q:「ま、いいか」などのように独白でも使うのでは?
A:そういうことはあるかもしれない。しかし、このような使い方は非常に希だろう。基本的には相手志向のマーカーではないか。
Q:男女の使い方の差はどうなのか?(「ま、ひとつ」「ま、いっぱい」等の使用)
A:それについては、調べていない。性差があるとしたら、それはそれで面白い問題だ。
Q:中級で一人多用している学習者がいるがその原因は?
A:中級で使用したものについては多用される「ね」のような誤用例だった。
第42回
定例研究会
(2002.7.27)
牧野成一トレーナー 「文化能力基準はあり得るか?」
(牧野成一トレーナー)
(2002年4月ウィスコンシン大学での講演の一部から)
 OPIの一番の欠陥は、文化基準が入っていないことである。そこで、2001年8月にNational Standards 注1)(以後NSと表記する)を日本に導入した。言語と文化をつなぐウチからソトへという考えかたが基になっている。NSでは文化を捉える際に、3つのKが三角形を形成すると考える。観点(Perspectives)、慣行(Practices)、完成品(Products)である。到達度指標として、「1.学習者は日本文化の慣行・慣習と観点・視点の関係を理解している証拠を出す。」「2.学習者は日本文化の完成品と観点・視点の関係を理解している証拠を出す。」が挙げられている。現時点では、証拠と考えられるものはパフォーマンスではなく内容(contents)である。
 具体例として、慣行の「添い寝」と観点の「甘え(の構造)」、完成品の「携帯電話」などが考えられる。レベルが上がるに連れて、身近な物から抽象的なものへ、即ちウチからソトへと内容が変化していく。
 日本語の指標例は英語で高校3年生の目標となっているものが大学4年生にそのまま転記されている。(注2)
 アメリカで使われている日本語教科書の文化ノートでは、言語以前の文化としてのサバイバルスキルについても言及しているが、関西外大の「げんき」は文化ノートが全くない。日本で使う教科書に文化ノートが必要ないという考え方はおかしいのではないか。
 ACTFLの基準として「話す」「読む」「書く」「聞く」と「文化」が同等に考えられて検討されたが反故になった経緯がある。NSも5つのCと言っているが、明確な文化基準はない。文化の場合は汎言語的基準は成り立たないと考えられている。
 どんなに上手な敬語を使っていてもポケットに手を入れていてはおかしい。言語よりノンバーバルな面が信用されるという現実がある。人間の文化行動について積極的に基準化する必要があると考えるので、文化基準試案を立ててみた。(注3)

注1) 5つのCで表されるNational Standardsの目標領域
 a Communication(言語伝達)
 b Cultures(文化)
 c Connections(連携:目標言語を使って母語話者に得られないような知識と連携する)
 d Comparisons(比較対照:目標言語を通して母語、母文化との比較対照をする)
 e Communities(地域社会:目標言語を使ってその言語を使用している地域社会と関わりを持つ)

注2) 学習者は社会、経済、政治の制度としての日本文化の触知不可能な完成品を同定し、討議し、分析し、これらの制度と日本文化の視点との関係を探索する。

注3)「タスク」「場面/内容」「正確さ:(文化/言語文化学)のきまり・待遇(文化/言語)行動・被理解度」について初級から超級までの基準を記述した表(牧野試案)


講演後、活発に質疑応答がなされた。

Q1:文化基準試案、超級タスクの欄に「抽象的な認知を中心としたコト的な、したがってソト的なポストサバイバル能力。」、上級に「具体的なモノ的な、従ってウチ的なポストサバイバル能力。」とあるが、「コト」と「モノ」について説明してほしい。
A1:「コト」は触れることのできない、例えば、会議場面の行動などで、日本語の場合は「甘えの構造」を理解して対応できるかなどを指す。「モノ」は触れることのできる、具体的な「食べる」場面の行動などを指す。

Q2:言語教育で言語能力には肯定的でも、日本人らしさには否定的な考えを持つ人もいるのではないか。
A2:ターゲットカルチャーに行ったときスイッチできるか、自分のアイデンティティを主張すると衝突が起きる場合にスイッチできる能力があるかをテストするものだ。あくまでもOPIを超えたところでの考え方である。例えば、「ほめる」や「けなす」などでは言語能力と文化能力の両方を見ていく必要がある。両者を分けるのはおかしいが、分けて考えることで、分けられない部分が見えてくるのではないか。

Q3:日本語は日本文化とだいたい対になっているとしても、英語の場合はアメリカ、イギリスをはじめ様々な文化圏で話されており、言語を文化能力基準と結びつけるのは難しいのではないか。
A3:英語を話す人々の中にも共通の文化行動(ある考え方を示唆するもの)があると考える。  

Q4:OPIはタスクテストと言われるが、牧野先生の考え方では「場面がタスクを決めている」のではないか。
A4:日本の「お中元」という文化行動、アメリカの「クリスマス」や「バレンタイン」については、文化的タスク行動と考えている。  


Q5:年齢や地域によって文化は違うと思う。どこの文化を基準にするのか。
A5:言語上の「方言」の問題と似ている。ステレオタイプではなく、標準的なものを考える。例えば、日本の場合「玄関で、靴を脱ぐ」は標準と言えるだろう。文化は変化するし、地域によって違うが、東京中心でなく広い目でと言った場合、沖縄の文化を基準にできるか。超級の場合は、東京文化と大阪文化など、少なくとももう一つの文化を理解していることが必要であろう。
第37回
定例研究会
(2000.12.10)
牧野成一トレーナー 
アメリカにおける日本事情教育と日本語教育の接点 - Content-Based Instructionをめぐって-
(2000年11月25~27日の韓国日本学会国際シンポジュームより)
 「日本事情」というと、歴史、文化、経済などが考えられるが、大変つかみ所がないように思える。日本事情の基本として日本でしていいこと、してはいけないことといった行動規範を初級で教えることが肝心ではないか。しかし、上級に行くにつれて、日本事情について、教師が間違った通念を提供していることが多いようであり、そのレベルでの日本事情教育の是正が必要だと思われる。今後はContent Courseとの関わりをどうやって進めるかという点を考え、日本学者と協力をしていく必要がある。例えば、日本学者が最初に日本の歴史に興味を持ったときに読んだ物を学習者に与えるなどの工夫をしなければならない。
 過去25年ぐらいの日本語教育は、コミュニカティヴ・アプローチが中心で、実用的になりすぎているきらいがあるのではないだろうか。アメリカではliteracy-oriented approach(読み中心のプローチ)という考えが去年あたりから前面に出てきており、読み書きを通して外国語教育をもっと知的にすべきだということが言われている。すでに80年代から出てきているContent-based Instruction(内容中心の教育CBI))ということとからみ合わせて、やや偏ってしまった日本語教育に、もう少し日本事情教育を取り入れなければならないのではないだろうか。
 例えばプリンストン大学では、5年生のレベルで「蛍」(村上春樹)を1学期通して読むことがあるが、これも文学作品としてだけでなく、歴史的な視点、政治学的な視点、社会学的な視点など、総合的な視点で読み込み、時には英文(小説の翻訳ではなく、村上に関する英文で書れたもの)を読ませ、クラスではその内容について日本語で討議をしている。徹底的の読ませるためには(これもないがしろにされてきたものであるが)翻訳の作業も大変意味があることだと考えられる。何を読ませるかということが大切であり、いかに理解力と思考能力を養うかがポイントになる。ただ、論文や専門書を読ませる際も、バランスを考え、必ず反対の見地に立つものを同時に扱わなければならないだろう。
 内容中心の教育は語学の教師とそれ以外の教師の協力体制がないと非常に実現が難しいが、語学の教師がそれ以外の教師(content course instructors)と無関係に上級の日本語教育を行っていることは大きな問題で、両者の連携は21世紀の日本語教育に与えられた課題の一つではないかと思う。

横山紀子氏 「プレースメントテストにおけるOPIと日本語能力試験結果の分析」 
第36回
定例研究会
(2000.7.9)
牧野成一トレーナー 「超級レベルにおける判定について

A)「超級」レベルの判定の仕方について
 上級以下のレベルでは、上位レベルへの突出がどのくらいあるか、という観点で判定を下す。そこで、上位レベルが存在しない「超級」においては、どのように判断をすればよいのだろうか。最も良い方法は、”ガイドラインに戻って考える(=超級の骨組みだけで勝手に肉付けすることなく、常に超級の記述の文に帰れ)”ということである。
 また「超級」で一番難しいのは、インタビューの中でどんな話題が飛びだすか分からないということである。そのため、テスターには幅広い知識が必要である。例えば『アエラ』『タイムズ』等のような論調を持った雑誌に絶えず目を通しておき、社会的な問題に対応できるようにしておかないと、話題についていけない。社会学、政治学など、常識以上に専門的に知っておく必要があり、インタビューにおいてどんな話題が出てきても処理していけるだけの知識を蓄えていくことが大切である。特に「超級」レベルの話者は会話におけるストラテジーを持っているので、なかなか”挫折”をしないものである。そこでテスターとしては、わざと相手の意見に反対してみるなど、反論が出来るようにしておかねばならない。
 「超級」の下位レベルについては、今後、設定される予定であるが、かなり詳しく判定基準を記述しておかなければならないだろう。(例えば、下位レベルの下の方では「慣用句や決まり文句、擬態語等がぴったり使えるかどうか、など。)

B)「超級」におけるフォーマル/インフォーマルの使い分けについて
 インタビューを通して、ほぼ「超級」と思われる場合でも、フォーマル/インフォーマルの使い分けが出来ない場合がある。しかし、ガイドラインではフォーマル/インフォーマルは「超級」には不可欠なもので、使い分けが出来なければ「超級」とは見なされない。どちらか一方しか使えないというのは、やはり日本語の奥までは入っていないのではないだろうか。インフォーマルが出来ないということは、ウチ側では日本人と付き合ってはいないのではないだろうか。
 ロールプレイで、「友達同士で話す」と設定した場合、相手は「です/ます体」で話してしまうことがある。単なる「友達同士」ということではなく「とても親しい友達」というように設定した方が良いのではないだろうか。また、「子供に対して」という設定でも、「他人の子供」「先生の子供」と思ってしまうと”お子さん”という意識になり、必ずしもインフォーマルが出てこない場合がある。(会員から「隣の高校生」だとインフォーマルが出やすい、との報告もあった。)
 「超級」レベルに達していると思われるのに、インフォーマルだけが出来なかった人に対しては、OPI終了後、インタビューしてみるとよい。その答えによって、彼らがどのようなときにインフォーマルを使うと判断するのか、探ることが出来るだろう。そのように、会員同士で情報を集め、インフォーマルを導き出す有効なロールプレイはどのようなものか、研究を進めてみるのも良いだろう。
 他に研究のテーマとしては、「超級ではどれくらい慣用表現(複合動詞や『せめて』などの副詞でもよいだろう)が出てくるか」など、ある程度の量的なデータを集めることができれば、従来、直感的にやっていた判断をサポートするものになりうると思われる。調査の結果、絶対に「超級」にしか出てこないもの、マーカーとなりうるものが見つかれば、今後の判断の指針となるのではないだろうか。

C)その他
 (「どうしても30分以内で終わらなくてはならないのか」という質問に対して…)例えばインタビューが32分で終わるのであれば、30分にも出来るはずではないだろうか。30分を少しくらい越えてもよいとなると、際限がなくなってしまうだろう。